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真実

大変お待たせしました!!?


これから書くことは真実です。
って、当たり前なんだけど・・(^_^;)

本当に書いてもいいことなのかと、何度も自問自答しました。

やっぱり書かない方がいいのかな・・・
でもそれでキッパリ諦められず迷い続けてしまうということは、書きたいってことなんだな(^^ゞ
と割り切ってみました(笑)


“今までブログで書けなかったことを書く”と凄く勇気のいる決意表明?をしてから、もう引き返せない状況・・・。
いや、引き返すチャンスは まだ残っているのかもしれませんが、今はナゼか前に進むことしか考えられないんです☆

覚悟はできた(^_^)v



ここで、少し『注意事項』を(笑)


☆これから私が書くのは、私の過去・子供の頃のことです。
それはツラくて悲しすぎるもの・・・。

皆さん、涙を拭くハンカチやタオルやティッシュなどを用意してご覧ください(笑)
女性の方はメイクが落ちても私のせいにしないでくださいね^m^

そして超~長文なので是非、お時間に余裕がある時に読んであげてください・・・
m(__)m


☆この記事を読むことで出る、私も~私は~という皆さんの心の叫びや意見を私も全力で受け止めます!!

もしよろしかったら、エキサイトには非公開コメントというブログの管理者・このブログでは私にしか見えない便利な機能があるので使ってくださいm(__)m
なるべく その方がいいかもです・・・。


☆そして一番は、そんなオーバーな話じゃないじゃん!と思われたとしても、私を責めないで頂きたいです~(^_^;)
そんな方はいないと信じていますが♪
この話をする勇気は私にとっては本当に大きすぎることなんです・・・。



そして『自分自身への注意事項』は、この記事を削除したくなっても耐えて!ってことかな!?(^_^;)


私、温かくて優しい皆さんのこと本当に本気で信じています☆★☆

それでもどういう反応をして頂けるのか凄くドッキドキだけど、とにかくスタート!!!!!













072.gif
まず、私が自分自身の人生で一番最初で記憶に残っているのは幼稚園の頃から。

その頃の私は幼稚園が大好きだったらしく、1日だけスゴイ風邪を引いて通園できなかった時に「幼稚園に行きたいの~!!!」って大泣きしたのを覚えてる・・(^_^;)


ただその頃から今まで変わっていないのは・・・
私、こう見えても!?
実は・・おとなしい。

だから、幼稚園が大好きでも大はしゃぎしたりする感じではなかった。


ちなみに、その時の初恋?の男の子のことは今でも よ~く覚えてる^m^

優しくて お顔も かなりカッコ良い感じ☆
まぁ、その当時の幼い私は そう思っていたかは疑問だけど、今になってシミジミ思うな~(笑)


幼稚園では よく泣いたりもしたけど、なんとか無事に卒園(^_^)v





そして、小学校に入学。
ここからツラくて悲しいことに・・・・・・。

1年生から6年生まで、全く心休まる時がなかった。
悪夢の6年間。



まずは1年生の、ドッキドキの入学式。
「○○さん!」ってクラスずつ先生に名前を読みあげられて返事をするところ。
私は緊張しすぎたのか「はい!!」って言えなかった。
両親は焦るし、周りも ちょっとざわついていたかな・・・。

それが全ての始まりだった。


入学式が終わってクラスに行ったけど、それからも とにかく緊張しすぎて一言も喋れない(>_<)

そしてクラスメイトの「○○ちゃんは、なんで喋れないの・・・!?」という言葉。
幼な心でも物凄く傷付いたんだろう。

それから固く心を閉ざし、ますます喋れない“おとなしすぎる子”になっていった。
これはひどくて、だんだん家族以外の人とは本当に一切喋れなくなった・・・。

この状況で突然喋ったりしたら、みんな驚いてばかにするだろう。

こんな幼い頃から危機感を感じていたなんて今の自分からみて可哀相に思うけど、揺るぎない真実だから。


いつの日からか、「学校に行きたくない!!!」と朝起きてから毎日のように母に訴えるようになった・・・。
涙を流して訴えることも当たり前。

お腹痛い・・というのは言い訳だったと思うけど、毎回言っていたような気がする。
でも本当にお腹痛くなってくる。


それから、いわゆる“不登校”の日々・・・。

と言っても、完全にではなくて たまに登校していた。

それでも両親も娘に危機感を感じていただろうし、学校の特別許可?で、1年生の時は母が授業中も一緒に教室の片隅で座っていてくれた。
(ごめんね、お母さん・・)

そのうち、お昼休みとかに母が私のクラスメイトの人気者になっていた(笑)
折り紙を教えてあげたりね。

でも、母には家の家事は もちろん、仕事や大事な趣味もある。
だから授業の途中で いつの間にか私には何も言わず先生とのアイコンタクト?をしていなくなっていたりして、気づいた時には私は教室で凄い暴れるくらい号泣してしまった時もあった。
幼い時には、それが“してはいけないこと”だとまで考えがおよばないものだ。
そして「○○ちゃんが喋った!!」っていうクラスメイトの言葉が、これまた傷付くんだな~・・。

【やっぱり私は喋らない方がいい、喋っちゃいけないんだ】

それから あまり暴れたりはしなくなったかな・・・。

いつの間にか帰ってしまった母を探して、上履きのまま泣きながら猛ダッシュで学校を飛び出し追いかけた時もあったけど、もう見つからなくて、先生に捕まった時もある。


そして、人間にとって絶対に必要な“呼吸”というもの。
私にとっては、言葉・喋るということも そのようなものだったのかもしれない。

それを失って、どうやって生きていくの??


って、ここまでの話なら、それから挽回できた気がする。
でも更に苦しくなったのは“ここから”。



何年生から何年生までとかは曖昧で覚えていないんだけど、1年生の途中か2年生くらいからかなぁ~??
母が一緒じゃなく1人で登校できるようになっていた。

なんでか分からないけど、登校する回数の方が多くなっていたのだ。
それにも親からの過度なプレッシャーもあったのは事実・・・。

学校を休むと、どちらかというと母は優しい方で私のためにと無理して怒ってくれている感じだけど、父は本気で怒るし怒鳴るし本当に怖かった。
そんな父にも優しい面も ちゃんとあったけど、私は今でも父が少し怖い・・・。



そして1人で登校するのが私も やっと当たり前になってきた頃、クラスメイトからのイジメが始まる。

そう、私はイジメられっ子だった。


一番のイジメっ子はクラスの中でも“ボス”って感じの、まさに悪魔のようなキツイ目をした男子。

そいつのニヤリと笑った顔を今思いだしても、すごい鳥肌が立つ。
私にとってはテレビに映るどんな犯罪者の顔よりも怖い・・・。

そいつは私以外はイジメてなくて、他のクラスメイトには良い顔のつもりで平然としていた。
でも大半のクラスメイトはナゼか恐れている感じで、そいつに従わない人は ほとんどいなかった。
友達の見せかけみたいな感じで、本当の友達がいるようには思えなかったけど。

結果、私は何人からもイジメられることもあった。


どう考えても、弱いものイジメ。

私は やっぱり この頃になっても喋れなかったし、おとなしすぎる子のままだったから・・・。
しかも小柄だしイジメやすかったんでしょう。

って、それをイジメられた理由にしていいんだろうか。
喋れなくて、おとなしすぎて、小柄なことは悪いこと??
そうじゃないだろう。

イジメる側に理由を勝手に作られてしまっただけだ。


そして、そのボスのようなイジメっ子は いつの間にか仲間を失ってくると、1対1で私に攻撃してきた。

上履きを隠すとか、そんなお子様レベルのような単純なことじゃない。


いきなり言葉もなく無言で足を強く踏んできたり、突き飛ばしたり、教室のイスに座っていたら思いっきり蹴られるのなんて しょっちゅう。
そしてまた他のクラスメイトには良いつもりの顔をしながら、知らんぷりして去って行く。

もうイジメを超えて暴力のようだっだ・・・。

他の教室に行って授業する時とかは自由に席が選べたから、そいつから なるべく遠い席に座るとかして、その間は勉強に集中したつもりで気をまぎらわせていた。

しかし、私が必死になんともない平然としたふりをしていればいるほどイジメが増していく。

そんな毎日。


どこからか、私の有りもしないウソの噂が学年中に広まって、みんなにジロジロ見られて「○○ちゃんね・・・」みたいにコソコソ話された時もあったな。
なんで みんな信じるんだよ~!!!(>_<)


中には小学生の時なんだから、そいつは逆に私に好意があってそういうことをしてしまっていたんじゃないか??って思っちゃう方もいると思う。
でも本当に そういうレベルじゃないから!!!!!

そいつが私をイジメていることはクラスメイトは みんな知っていたし、私が授業中に突然号泣してしまった時は先生に事情を聞かれて、「○○くんが○○ちゃんのことイジメてるんです!」って かばってくれた子もいた。
しかしその時の先生の「そうなんだ~」的な、どうしようもない感じのサラッとした軽い態度も凄く許せなかった・・・。
その女性の先生は相談にのってくれるふりはするけど、本当に全くダメで頼りにならなかったな。


もし私がイジメっ子に対抗できたりするくらい強かったら、イジメられてなんていなかっただろう。

だから、やられっぱなし。

やり返したら ますますひどくなるのだろうという怖さもあったけど・・・。

心では闘っていた。


そんな日々が しばらく続いた後、もう私には“逃げる”ということでしか、そいつとイジメがなくなる手段はなかった。

再び、不登校。


その前に誰かに相談できたのでは??
って、できるわけないじゃん!!!

学校では喋れないどころか、家族にさえ心を固く閉じ始めていたんだもん・・・。


不登校になったら、さすがに親も学校も理由を探す。
そして、どちらかといえば、イジメられていたという理由なんて周りも みんな分かりきっていた。

私が何も話さなくても みんな知っている。
どう考えてもイジメでしょうっていう・・・。

イジメる方も大胆だったんだな。



でも正直、父も言葉とかひどかった気がする・・・。
(お父さん、ごめんね・・)

とにかく私を責めてきた。

家にいても全く安らげない。
1人で突然家を猛ダッシュで飛び出して少し遠くまで逃げ回った時もあったし、逆に しばらくベランダに閉じこめられた時もあった。
いつまでたっても救ってくれない。

母や姉が救ってくれるまで、永遠と泣いた・・・。


父の言葉で一生忘れられないのもある。
それが子供に言う言葉か!って感じ。

すごく親も追いつめられていたのは分かります。

でも私だって当然ながら、こうしたくてこうしているんじゃなかった。
イジメられなければ こんなことにならなかったんだよ・・・。


その矛盾にも腹立ってイライラのストレスも凄く溜まり、親に立ち向かった。
暴れて、家の部屋のドアのガラスをバリーンと足で蹴って割っちゃった時もあります。

私のケガを心配してもらうどころか、このガラスどうしてくれるんだよ!!って更に怒られた。


もう親も周りの何もかもの人達が全く信じられない状況。

全てが敵。


何が“愛”なの??

私は、なんでここまでして生きているの??

死ぬ方法を知らなくて、逃げ場もなかったから??

死にたいと何度も思ったのに・・・。


正直、なんで今まで生き続けてこられたのか、その奇跡の意味がいまだに分からなかったりする・・・・・・。


ただ、当時の小さな心で、今のような将来のことなど考える余裕など全くなかった。

じゃあ、今の大人の私のまま当時に戻ったら耐えられる??

絶対に耐えられるはずがない・・・。

あれは、いつどう考えたって過酷なのだから。
ただの子供の頃のエピソードじゃない。
その時の気持ちが今だに心の障害として繋がってしまっていることも悲しいよ・・・。



そして、もう1つのエピソードがあります。


実はこんな状況の中でも、1人だけ友達と呼べる女の子がいた。
たしか お兄ちゃんが2人いたから男の子っぽいサバサバしたところもあったけど、私はナゼか唯一その子とだけ普通に喋ることができた。

その子は もう1人の男の子の友達と家に遊びに来てくれたり、私と私の親と一緒に遊びに出掛けたりもした。
(ちなみに男の子とは喋れないから、男の子に「1回あっち行って!」という感じで話を聞いてくれたりも)
いつも「一緒に遊ぼうよ♪」と電話かけてきてくれて、私も その子の家に行って遊んだりもした。

私から その子の家に電話をかけると毎回のようにお父さんが電話を受けるから、それで「○○ちゃんいますか??」って話すのもドキドキしていたなぁ~・・。


私は本当にその子は親友なんだと信じていました!
でも、ある日のこと。

いつものように その子から電話がかかってきて、受けて喋ったら・・・。
誰かが側にいるらしく、電話口で「これが○○ちゃんの声だよ」ってコソコソ話しているんです。

そして更に、「すごい!」ってそこから聞こえてきたのは、あるクラスメイトの声。

そう、そのクラスメイトに頼まれたのか、私の声を聞かせる為に他の話でごまかして電話をかけてきた。
最低、完全に裏切られた・・・。

私は電話を いきなりガチャっと切り、相手は理由が分からないかのようにスグに再びかけてきたんだけど、それから親に「○○ちゃんだよ!」と呼ばれても私は「今は出れな~い!!!」と言って電話に出なかった。

それから私の方から何か理由を付けたりして その子とは遊ばなくなったし、不登校になっているうちに縁も切れた・・・・・・。

突然そんなことになったとは言えないし、先生とか親などの周りは知らず、まだ2人は仲いいと勘違いされていたから、クラス変えのとき気を使ったみたいに また同じクラスにされて嫌だったな。
“クラス変え”って先生たちが1人1人の生徒の様子とか その周りがどうかとか話し合って決めているみたい。


そして、この話は更にエピソードがありまして。

数年前に私が自動車学校に通っていた時の学科の授業。
教習手帳に先生がハンコを押したら全員の手帳をテーブルに並べ、帰りに それぞれ持ち帰るようになっていた。

ある日、いつものように帰りに自分の手帳を探していたら、全員の手帳の中に凄く見覚えのある名前を見つけドキッとした・・・。

そう、その時の子だった。


姿では全く気づかなかったな・・・。

周りを見渡す勇気もなく、焦って逃げるように帰ってしまった。


相手は私の顔や名前を覚えているのかな。



そんなこんなで、不登校のまま小学校を卒業。
卒業式にも出れず無理矢理、卒業証書をもらいにいかなければいけなかったから全く嬉しくなかった。





そして、また学校かよ!という感じで仕方なく中学校に入学。
ここから心機一転のつもりで最初は普通に通学してみるが、小学校の時の同級生ばかりで馴染めず、やっぱり怖くなって不登校。


そういえば小学生の時に親の勧めで塾に行かされたこともあったけど、そこにも同級生がいたからスグに やめちゃった。

今思えば、なんで親は少し遠くへ私を転校させるとか全く考えてくれなかったんだろう・・・。



小学校・中学校と不登校の私のために担任の先生が、宿題のプリントなどを届けるため毎日のように家に来てくれた時もある。
友達でもない近所のクラスメイトが先生に頼まれて届けに来てくれたこともあったな。
母親が受け取って、私は顔を合わせられなかったけど・・・。

手紙を書いてくれたこともありました。
クラスメイトの「○○ちゃん、学校楽しいから おいでよ♪」って完全に先生に書かされた感があったけどね。
今思えば、いろいろ特別扱いのようなものだな・・・。

そこまでしてもらっても、私は一切どの先生でも心を開けなかった。
もう誰も信じられなかったから。
信じられる人もいなかった。

こんなに追いつめられたのは、私の人生で最初で最後かもしれない。



そして中学校も卒業式に出れることなく、またなんの嬉しくもない卒業証書だけ受け取って卒業・・・。





それからは少し遠い通信制の高校に入学して、今までの自分を挽回する気持ちが おきた!!!


通信制だから ほとんどうちで勉強してレポートを仕上げる形なんだけど、当然ながら授業がある時は登校しなければいけない。
時間割りを見て自分の都合に合わせて幾つか授業を受ける感じ。
毎日の時もあったな。

この高校で初めて不登校にならず、普通に通うことができた♪


あっ、私は小学・中学の不登校の時も家で宿題やってたりしたから、こんなことがあっても成績は悪くない方(^_^)v

数学と体育はどうしても苦手だったけど~。



通信制は普通の本校とは離れた別のところに教室がある建物があるんだけど、体育の時とかは本校の体育館を使う。

その時とか「あの人達、通信だって・・」とか制服を着た生徒達から聞こえてくるのもツラかったなぁ~。
(通信は基本、私服)


でも、通信は色んな理由があって それを選んでいる人達ばかりなんですよ。

中学卒業当時に高校に進学できなかったから大人になって通信に通い始めた人もいたし、それで親子もいたし、仕事をしながら通っている人も多いし、サッカー選手とかもいたっていう話も☆
そして私のように学校が苦手な人達も頑張っていた!

何かしらあった人達ってことだな・・(^_^;)



確かに学校は いまだに大嫌いだけど(汗)、高校だけは挽回した(つもりで)頑張れて良かった!!!

この時の卒業式で、初めて普通に受け取れた卒業証書が どれだけ嬉しかったことか(;_;)




そして高校を無事に卒業してからの今の私は、どうなっているのか・・・
これだけは今は書けないというか、絶対に聞かないでくださいね~(・_・;)

今も過去の自分の心の障害を引きずっていることもあり、他のことで大変な状況。
それをなんとか絶対に乗り越えなきゃいけなくて凄く厳しいし・・・。
心の弱い自分と強い自分との闘い&自分と周りとの闘い・・の真っ最中!(笑)

でも、乗り越えられたら報告できるかも(^_-)-☆



一見、平和でも見えなくなっちゃうことってある。

“頑張る”って、どう頑張るのか。

人に言うのは簡単だけど、それをやる方は大変なの(>_<)



確かに私はイジメられて不登校だったことなどは普通の人達と比べちゃうと凄く不利で、何より心の障害を残してしまっていることが今の一番の苦しみだったりする・・・。

“人と話す”という ごく普通のことに異常なほどドッキドキで緊張して不器用だし、上手く話せないことの方が多い。



でも、こんな悲しい思いを ずっとし続けてきた私だからこそ、分かることもあるような気がする☆

まず目標は「強く、優しく」

自分に簡単に負けない強さと、人への思いやりという優しさ。


私は人に愛されたり優しくされたりすることが不足していたぶん、仕返し・・じゃなくて、愛したり優しくしたりしたい。
一途でいたい。
自分からは絶対に裏切らないし、裏切れないから安心してください(^^ゞ

自分が嫌な思いをしたことは人にしないし出来ないもの。


皆さんのことも、私の小さな手と心であっても守りたいな♪♪

そんな私だから きっと、おせっかいで余計なお世話ばっかりしちゃっているんだろうな・・(^_^;)
心配性だし。
いつも勝手に反省していますm(__)m
あまり優しくしすぎても疑われちゃうのかなぁ~とか。

でも、その優しさ?が本気だから笑っちゃうでしょ!!(笑)


ブログで出会った皆さんのおかげで、人の温かさと優しさも本気で信じられるようになりました☆
「本当の温かさと優しさ」を いつもありがとうございます ヽ(≧▽≦)ノ

私は人の見た目じゃない中身の心を見抜く力も付いている気がするから、簡単にそういうこと言いませんよ!


沢山の人達を愛して、愛されること。
簡単なようで凄く難しい。
でも私はそうでありたい。
いや・・
沢山の人に愛されなくてもいいから、私は沢山愛したいな^^

大切なヒトやモノ、守りたいもの・守るべきものがあるから強く優しくなれる・・・。


テレビで“不登校児の実情”とかいう番組を見ると、その子たちの環境と周りの人達も気になる。
同じような状況だった自分のことを思いだして涙溢れてくるし(;_;)

そして、私がその子たちを強く抱き締めてあげたくなっちゃう。
こんな小さな私でも守ってあげられるのかなって。
実際は守れないのにね・・(^_^;)

あと私は“保健室に登校する”っていうのも抵抗あったな~。
同じ学年で そうしていた子がいたような気がしたけど、私は無理だった。


今の私は本当に ずっと弱いままなのか、少しは強くなれてきたのか。

少なくとも、このことをブログに書くことを決意して実際に書いた私は強いと思う!!

過去の私の心からすれば、まさかブログというもので暴露する日がくるなんて絶対に ありえなかった。


ブログで“生きている証”を残したい。
ここは私にとって大切すぎる場所でもあり、皆さんと仲良くさせて頂いていることも大きな誇りです(^_^)v





そして、本当に学校に行くべきじゃないのはイジメられっ子じゃなくてイジメっ子の方だと私は思う。

私も母親になる時がきたとして、もし我が子がイジメっ子になろうものなら本当に反省して優しく変われる時がくるまで学校に行かせないし、万が一は転校させちゃうかも~・・。
特に、弱いものイジメは許さない。

そして私のようにイジメられっ子になっちゃったとしたら、学校やイジメっ子の親などに強く訴えて、できるだけ不登校にはさせないようにする!
親が無理矢理ひっぱって学校に連れて行くようじゃ何も変わらないし、まず自分より先に周りが変わっていってくれないと何も始まらないんです。

一番は そのどっちにもならない普通の子でいられるよう心も育てられたらいいなってこと♪


こういうキッチリした考えを持った親は普通にいないでしょう。
だから矛盾だらけ。

我が子が大切すぎて他の子のことは考えられない。
そんな過保護な親は、正直・・ふざけんなって感じ(^_^;)
どっちも大切にできなくて、何が愛なの??


そういう私の考えを ちゃんと理解してくださるような将来の素敵な旦那様、早く現れてくださるのを待ってま~す(*^_^*) 笑





私は、あの時のイジメっ子より少しでも長く生きたい。

同窓会も怖くて仕方ないと思っている私に復讐なんて出来ないからさ、もし勝てることがあるとしたら それくらいしかないと思う。

そして、いつか私も大きな幸せをつかんでみせる。

そいつより幸せになってみたいんだ。

やられっぱなしの、最初から最後まで弱い自分の人生で終わりたくないから・・・。

そして、家族には迷惑かけてばっかりなので、親孝行ならぬ家族孝行!?を生きているうちに何か絶対にして悔いのないようにしたい(^_-)-☆



私は こんな悲しい過去があったことを、今でもどんな親しくて本当に信じている人でも話すのが凄く怖いです(+_+)
だから、なるべく話さないように隠している・・・。

その話をしたら、聞く側はどんな気持ち・表情になるのかな。
さらに言葉で追い討ちをかけられちゃったりしないだろうか・・・。


今までブログに書けなかった理由がそれです。
でもこうして今回書くことができて、なんか良い方向に変われる気がする(^^♪








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心に響いた、つるのさんの本『つるっつるの脳みそ』の一文☆


“超プラス思考”素敵^^



つるのさんもイジメられていた経験があるなんて今では ちょっと信じがたいけど、温かさと優しさの源が その経験からなんじゃないかって勝手に思っています(^^ゞ

サイン会の時も、もっと時間があったら私のことを泣いて話していたんじゃないかって思うほど、心開いちゃいました♪






皆さん、ここまで超~長文を読んで頂いて ありがとうございました☆m(__)m
by sirokuma-panda | 2009-08-17 00:49 | *私・バトン*

ブログ移転した為、こちらのブログの記事更新はありません。


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